吉永弁護士の「社長、他人事ではないですよ!」

中小企業の経営者にとって、税理士は最も身近な存在です。そのため、税務に限らず、公私にわたってさまざまな相談が寄せられることも少なくありません。そのような相談に応じて、各種の周辺業務に取り組んでいる方も多いでしょう。しかし、周辺業務は税理士の専門領域ではないため、対応ミスによりトラブルが生じやすいと言われています。この連載では、鳥飼総合法律事務所の代表弁護士である鳥飼重和先生の監修により、税理士に寄せられることの多い相談と、弁護士から見た有効な対応方法を解説します。

第26回 従業員が転勤を拒否したら……

執筆:鳥飼総合法律事務所 弁護士 岸川 修

武田社長 吉永先生、お久しぶりです。ここのところずっと

寒くて、なかなか暖かくなりませんね。

吉永弁護士 前にお会いしたときは暖かい日もありましたか

ら、随分お久しぶりですね。ここ数日は特に冷え込んでいま

すから、風邪にはお気をつけください。

武田社長 ありがとうございます。ところで、当社はこのた

び、関西進出を果たしまして、来月、大阪に支社を出すこと

になりました。

吉永弁護士 まあ、そうですか。それはおめでとうございま

す! これで関西からもお仕事を受注できるようになります

ね。

武田社長 はい。これまではずっと関東エリアのみでしたか

ら、これを足掛かりに、全国からお仕事を頂きたいですね。

 ところが、そのことで、ちょっと困ったことが起きている

のですよ。

吉永弁護士 どんなことでしょうか。

武田社長 実は大阪支社長に、当社の田中という者を抜てき

したいのですが、本人がどうしても大阪に行きたくないと言

いまして。

吉永弁護士 つまり、田中さんは大阪に転勤したくないと仰

っているのですか。

武田社長 そうなのです。「これは会社の業務命令だから従

え」と言っているのですが、全然聞かないので、クビにしよ

うかと思っていまして……。

吉永弁護士 ……なるほど。田中さんは、東京の本社で採用

されて、ずっと東京で働いているのですか。

武田社長 そうです。田中は入社してから10年間、ずっと東

京本社にいます。

吉永弁護士 田中さんは、東京で働くという条件で採用した

のですか。

武田社長 いいえ。田中を採用した時点で、就業規則には

「会社から転勤を命ずる場合がある」ということを明記して

いました。この就業規則は、現在までずっと変わっていませ

ん。

吉永弁護士 それでは、田中さんは行きたくない理由を何か

話していませんでしたか。

武田社長 そうですね……。そういえば、田中は「母の介護

をしなければいけない」と言っていました。でも、そんな個

人的な理由で転勤を拒むのは、サラリーマンとして許されな

いですから、毅然として対応しますよ。

吉永弁護士 武田社長、それはちょっとよくないかもしれま

せんね。

武田社長 ええ、そうですね。田中が個人的な理由で転勤を

拒否していることはよくありませんよね。

吉永弁護士 いいえ、違います。田中さんの生活に配慮せ

ず、一方的に転勤させようとしていることがよくないのです。

武田社長 えっ! ……でも、就業規則に「転勤を命ずる場

合がある」と明記しているのなら、従業員としては甘んじて

受け入れないといけませんよね。

吉永弁護士 いいえ、それは武田社長のご認識に誤りがあり

ます。契約上、従業員を転勤させることができるとしても、

その必要性がない場合や、必要性があっても不当な動機・目

的があったり、通常のレベルを超えて著しい不利益を負わせ

たりする場合には、その転勤は無効になると考えられている

のです。

武田社長 はぁ、つまり、必要がない転勤や、嫌がらせ目的

の転勤、本人に重大な不利益がある転勤はダメ、ということ

ですか。

吉永弁護士 簡単に言うとそういうことです。

武田社長 そうなのですか……。でも、今回は必要があって

命じた転勤ですし、嫌がらせ目的でもないですから、転勤が

田中に重大な不利益を負わせることになるということでしょ

うか……。

吉永弁護士 そうですね。私には田中さんのご家庭の事情は

分かりませんが、仮にご自宅でお母さまの介護をされてい

て、他に介護をしてくれるご兄弟などがいらっしゃらない場

合、大阪への転勤は、田中さんに重大な不利益を与えること

になりうると思います。

武田社長 なるほど、そうですか。私も田中の家庭の詳しい

事情までは把握していませんので、田中にきちんと聞いてみ

たいと思います。

 ただ、話を聞いても、転勤命令が果たして田中に重大な不

利益を与えるか分からないかもしれないので、最終的な判断

をする前に先生に相談してもいいですか。

吉永弁護士 もちろんです。こういう人事の問題は、間違っ

た対応をして後で裁判にでもなったら大変なことになりま

す。事前の相談は喜んでお受けいたします。

武田社長 いや~、今日はいい勉強になりました。あやうく

田中をクビにするところでした。その前に話を聞けてよかっ

たです。ありがとうございました。

*解説*

 会社が従業員に転勤を命じるためには、その従業員の方との間で結ばれた契約や就業規則のなかで、転勤が可能である旨の定めが設けられている必要があります。

 全国各地での勤務を前提とした契約や就業規則の場合には、転勤が可能である旨の定めがあるといえますが、勤務地や職種を限定する契約や就業規則になっている場合には、転勤が可能である旨の定めはないということになります。

 そして、仮に転勤が可能である旨の定めがあったとしても、常に転勤を命じることができるわけではありません。最高裁の判例(東亜ペイント事件〔最高裁昭和61年7月14日判決〕)によれば、業務上の必要性が存しない場合や、業務上の必要が存するとしても、その転勤命令が不当な動機・目的をもってされる場合、従業員に対して通常甘受すべき程度を著しく超える不利益を負わせる場合等、特段の事情が存する場合でないかぎりは、転勤命令は権利濫らん用ようになるものではないとされています。

 逆に、こうした特段の事情がある場合には、転勤命令は権利濫用として無効となりうると考えられます。

 今回のケースのように、日常的に家族の介護や世話をしている従業員が転勤を命じられた場合、この転勤命令は通常甘受すべき程度を著しく超える不利益を負わせるとして、権利濫用にあたり無効であると判断される可能性があります。

 たとえ契約書や就業規則に転勤が可能である条項があったとしても、転勤命令が権利濫用で無効と判断されないよう、くれぐれも慎重に検討する必要があります。